プロフィール
江頭健二
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■名前
江頭健二
■生年月日
S49年5月5日
■会社HP
(株)ダイ・ケンオートサービス

◆自己紹介

こういう自己紹介の場合、

『車が好きでこの仕事を始めました』

って言うが一般的でしょうが、私の場合はそうではありません‥
おそらく、普通の人以上に車の事は知らずに始めました。

このページでは、私と(株)ダイ・ケンオートサービスの生い立ちを紹介させていただきます。


■誕生

昭和49年5月5日に佐賀県佐賀市で、父は大工、母は美容師の家の次男として生まれました。

今考えてみれば、職人の両親から生まれてきた訳ですね。
もしかしたら、私が職人になる事も生まれた時から決まっていたのかもしれません(笑)

子供の日生まれだと言う事は、子供の頃はその事が自慢でした。
今ではどうでも良い事ですが‥


■幼稚園 神野幼稚園

母が自営業で美容室をしていましたので、2歳の頃から無理矢理に幼稚園に入園させられました。

幼稚園での思い出は、死にかけたミツバチを触って遊んでいたら、思い切り刺されちゃった事でしょうか。

大泣きして、廊下を走り回りました。

年中組になった頃に、幼稚園にプールが新設された事が嬉しかったですね。

3〜4歳の頃に川で魚釣りをしていて、水深2〜3mの川に落ちてしまって死にかけた事がありました。

私が今でもカナヅチなのは、これが原因だと言う事にしておきます(笑)。


■小学生 高木瀬小学校

この頃は勉強はそっちのけで、友達と遊んでばかりいました。

ヘビを捕まえて家で飼おうとして母親に怒られたり‥

40度の高熱の中で、家を抜け出して遊びに行ったり‥
当然、猛烈に叱られました‥

廃墟となった保育園に忍び込んで、井戸の中に降りていって死ぬほど怖かった事もありました。

田んぼで遊んだり水門を操作したりして、農家の人に怒られた事も‥

当時の人気漫画で、トカゲの尻尾を食べてパワーアップする主人公がいて、その主人公のマネをしてトカゲの尻尾を生で食べようとしたり‥

ここでは書けないような事もいろいろとやっていました。

こんな感じで、田舎の子供ならでは(?)の遊びに夢中な少年時代でした。


■中学生 城北中学校

中学の先生の強力な武器である、内申書やテストの点数に脅されながらも、やはり勉強はやりませんでした‥

部活は体操部に入りました。

動機は、『バク転やバク中ができたらカッコイイな♪しかも女子にモテるかも♪』

だった訳ですが‥‥全然モテませんでした‥(泣)

しかし、部活はかなり真剣に頑張りました。

昨日は出来なかった技が今日は出来るようになる。

体操はそんなところが、やりがいのある楽しいスポーツでしたね。

筋肉を使う競技ですので、痩せ気味だった体格が筋肉質になり、自分でも驚いていました。


■高校生 佐賀工業高等学校 機械科

高校は、何となく工業高校へ進学しました。
しいて言うならば、親から『手に職を持っておいたら将来役に立つ』と言われたからでしょうか。

成績も良くありませんでしたので、選べる高校も限られていましたし‥
射程内にある県立高校は2〜3校でしたので‥

工業高校3年間の在学中に取得した資格は、工業英検3級(通常の英検よりレベルが低い)とガス溶接(ほぼ使えない資格)でした。

頭が悪い上に勉強もしなかったわけですから、仕方が無いでしょうね‥(泣)

そんな私が選んだ就職先は‥

トラックで一般家庭に食品を配達する会社でした

工業高校と関係ないじゃん!!
堯福陰◆院


■社会人 配送会社

高校を卒業後の18歳から、何となくトラック配送の仕事をする会社に入社した訳ですが、住めば都とはよく言ったもので、やりがいも出てきて一所懸命に仕事をしていました。

しかし入社後5年後くらいに、全国紙に載るくらいの会社の不祥事が発覚しました。
またその直後にも、別の不祥事が発覚しました。

この辺りから私自身の中で、会社や経営陣への不満が溜まっていきました。
二十代半ばの頃です。

その頃から、独立して自分で事業を始めたいと思うようになりました。

しかし、この頃には結婚もしていましたし子供もいました。
また、私自身は何の特技も技術も持っていない訳です。

何とかして独立したい‥
でも、何の技術もない‥
家族もあるから、一歩を踏み出す勇気も出ない‥

自分自身の中で葛藤しながら、毎日を悶々と過ごしていました。

そんな私も31歳になった年に、13年間勤めた会社を思い切って辞めてしまいました。


■私が車の修理屋になった訳

実は会社を辞める前に、2歳年上の知り合いから『仕事が終わって夜から、一緒に鈑金塗装をやってみない?いい副業になるはずだから』と、そんな話をされていました。

この彼こそが、今も一緒に仕事をしている頼れる相方です。鈑金塗装の腕前はピカイチです。未だに私は彼の足元にも及びません‥

副業でやってみようなんて話だったんですが、いきなり私が無職になっちゃった訳ですから、『本格的に鈑金塗装屋を始めよう!!!』

って事になりました。

そうやって、

江頭鈑金塗装

として、鈑金塗装屋をスタートさせました。

鈑金塗装の技術や知識は、何も持っていない私でしたが‥


■初めてのお客様

そういった流れで、何の知識も無いままに鈑金塗装屋を始めたわけです。

工場は相方の自宅倉庫で始めましたので、飛び込みのお客様はありません。ですので友人・知人関係に、私が鈑金塗装屋を始めた事を知らせる事から始めました。

『私がエガちゃんの最初のお客さんになってあげるよ』

と、私の前の職場の人が言ってくれた時には、涙が出るほど嬉しかったですね。

次第に友人が友人を紹介してくれるようになり、クチコミでだんだんとお客様が増えていきました。

綺麗になった車を見て、喜んでもらえる事が一番嬉しかったです。
修理作業のほとんどを、相方がやった事は秘密でしたけど‥(笑)

立ち上げてから半年後には、株式会社ダイ・ケンオートサービスとして法人化しました。


■株式会社ダイ・ケンオートサービスの社名の由来

どうせなら信用を付ける為にも法人にしようと思い立ち、会社設立に踏み切りました。

社名の候補はいくつか挙げましたが、株式会社ダイケンオートサービスが第一候補でした。

ダイケンのダイは、相方の名前が大(だい)で、ケンは私の名前の健二(けんじ )から取りました。

オートサービスとしたのは、今後は鈑金塗装に限らずに、車の事なら何でも対応できるようにしたいとの想いからでした。

お客様からのご要望は、出来るだけ対応したいですから。

初めの頃は車検も請けていませんでした。
友人の中には、『車検ではやってないの?車検なら力になれるのに』と、言ってくれる人が多くいました。

せっかく私の為に好意で言ってくれているのに、それに対応できなかった事は、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

車の事で相談があった時に、『それはできません』って事が無いようにしたいと言う想いもあり、オートサービスとしました。


そして、担げるものは何でも担いでおこうと、社名の字画を診断してもらいに行きました。

すると‥

株式会社ダイケンオートサービスだと字画が悪いとの事でした‥

堯福陰◆院縫ーーン!!

しかし、私としては株式会社ダイケンオートサービスはかなり気に入ってしまった訳で‥

色々と悩んだ結果、ダイとケンの間に『・』を入れる事で、字画は良くなると言う事が分かりましたので、株式会社ダイ・ケンオートサービスという社名になりました。


■螢瀬ぁΕ吋鵐ートの成長期と逆風

鈑金塗装屋から始めて、車検や自動車保険なども扱うようになりました。

徐々にではありますが、着実に信用と実績を重ねていき、ご依頼も増えていきました。

そんな中で、大きな逆風が螢瀬ぁΕ吋鵐ートを襲いました。

2008年5月〜8月頃に起こった原油高騰です。

ガソリンはリッター180円台まで上がり続け、ガソリン価格の天井も見えない状態の中、皆さんが車に使うお金を節約するのは当然の結果でした。

少々のキズやへこみなんかの修理に、お金を使う余裕がなくなられたのでしょう。

この頃は、螢瀬ぁΕ吋鵐ートの屋台骨を支えていた鈑金塗装のご依頼が全くと言っていいほど入らずに、本当に苦しい時期でした。

そんな苦しい状況の中、何とかしないといけないと色々と悩んだり調べたりしている時に、インテリアリペア (自動車内装の修理・補修)の事を知りました。

これだ!!!と思い、速攻でリペア技術を取り入れ、2008年11月から内装リペア事業を始めました。

佐賀県内では、まだ誰もやっていないサービスでもありましたので、間違いなくお客様に喜んでもらえ、ご依頼もたくさんあるという確信もありました。

シートにできた醜い焦げ穴が、布を張り替えずにわずか数千円で補修できるなんて、そんな魔法のような事ができちゃう訳ですから。

その直後には、シートクリーニングの機材を購入し、出張でもシートのシミ汚れのクリーニングができるようになりました。

車の外装は、鈑金塗装やマニキュアコート(ポリマー加工)で綺麗にできて、内装はインテリアリペアやルームクリーニングで綺麗にできる。

車を綺麗にすることに関しては、正に弱点が無い状況になった訳です。

結果的には、逆風を追い風にできたのではないかと思っています。


■螢瀬ぁΕ吋鵐ートサービスの未来

螢瀬ぁΕ吋鵐ートサービスは、私と相方の2人で小さく立ち上げた会社です。そして大事に大事に育ててきた会社です。

しかし、今後は規模を拡大して支店を増やそうとか、従業員をたくさん雇おうなどとは全く考えていません。

私達が目指すものは、地元の頼れる小さな自動車修理屋です。佐賀の田舎の町工場で十分です。

『車の事で困ったときには、ダイ・ケンオートに電話したら、何とかしてくれる』

そんな会社であり続けたいです。
この考えはこれから先も変わる事はありません。

なぜなら、皆さんの喜ぶ顔が見たいからです。
修理が終わって、お客様の笑顔が見れる事は、何事にも変えられない喜びです。

会社を大きくすると言う事は、どうしても私の目が届かなくなります。

現在(H21.9月現在)は工場用の土地を近場で探しています。良い物件が見つかり次第に移転する準備ができています。
予算の範囲内で、できるだけ分かり易い場所で、できるだけ広い場所に引越しするつもりです。

H21年12月に、諸富町大字為重に工場を移転しました

『近くに来たから寄ってみたよ。』
『タイヤに空気入れてもらっていい?』
『今日は暑かったから、事務所で涼ませて♪』

‥と、皆さんに気軽に立ち寄ってもらえる工場にしたいと思っています。

螢瀬ぁΕ吋鵐ートサービスは、お客様に支えられてここまで来ました。

これからも、お客様を第一に考えたサービスを提供していくというポリシーは変わりません。


お客様の笑顔を見たいから


これからも頑張っていきます。

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